アソビのタネ

子どもがいるならどこでも「もっと楽しく」「もっとのびのびと」「もっと安心して」いられる現場づくりでの実践を記していきます。

TOKYO PLAY 公開学習会

TOKYO PLAY 公開学習会

「こどもと遊び場 ~東日本大震災からの5年間の歩み~」

 

ゲスト

・阿南健太郎(一般財団法人児童健全育成推進財団)

・神林俊一(当団体事務局長)

コーディネーター

嶋村仁志(TOKYO PLAY 代表)

 

東日本大震災後、東北の子どもの遊び場はどんな環境だったのか、どんな活動がされてきたのか、情報を共有する学習会が、1月25日に東京都の国立オリンピック記念青少年総合センターで開催されました。

 

 

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参加者は、児童館や冒険遊び場のスタッフ、子どもに関わる勉強をしている学生などでした。被災地でも震災関連のニュースが少なくなってきているなか、東北の“今”が知りたい、これまでの歩みを知りたい、という熱量が感じられました。

 

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阿南さんは東北各地の児童館・放課後児童クラブを支援してきました。

スライドに映されたのは、訪問していた児童館の一室。窓にびっしりと張られる被災地への応援メッセージ。応援してくれるのは有難い、でも応援をプレッシャーとして感じてしまう現場の声も聞くそうです。

 

当団体事務局長 神林のエピソードにも、応援をプレッシャーと感じる苦しさがありました。ある遊び場で出会った少年の声です。移動遊び場を開いた時、神林がナイフを使って木刀をつくっていると、一人の少年が「おれにもやらせて」と声をかけてきました。ナイフを貸すと、黙々と木を削り始める少年。結局遊び場が終わる時間いっぱい削り続け、木刀を完成させました。そしてその時初めてぽつぽつと話し始めました。

 

「おれ、久しぶりにこんなに遊んだ。受験生なんだ。大変なんだよ、わかる?」

神林が頷きながら話を聞いていくと、ふいに零れたのがこんな一言。

 

「まわりの人がさ、お前は生き残ったんだから頑張れって言ってくるんだよ」

 

津波から生き残った少年にはそれが重荷になっているようでした。

 

 

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震災直後の子どもは、余裕がない大人達を目の当たりにして、自分を表現できなくなっていたと阿南さんは言います。

 

「気持ちを話せる場がない、逃げ場が無い、聞く大人もいない、落ち着かない子どもの環境がそこにありました。」

 

津波で生き残った少年の声も、まわりの大人が受け止められれば重荷を背負わせることにはならなかったと思います。しかし、被災地では大人もまた生きるのに必死で、いっぱいいっぱいだったのだと思います。

 

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地域住民が苦しい生活をしているなか、支援者はなにができるのだろう。ゲストの2人はそれぞれの苦悩の日々を語りました。共通したキーワードは“温度”でした。 

 

阿南さんは、「外から入ってきた人が、どれほど熱く子どもの居場所の重要性を語っても、“温度”の差がある地元の人にその声は届かない」と、現場での活動を通じた気づきを話してくれました。

 

「お菓子王子」と言われるくらいいつもお菓子を持ち歩き、訪問先の施設や出会った人にお菓子配って、それをきっかけに現場の声を聞き続けたそうです。半年かけてようやく地域と“温度”が合ってきて、仮設の児童館など子どもの居場所をつくることができました。

 

 

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神林も地域の“温度”に合せることの難しさを語りました。「東北はおもてなしの文化があり社交的ですが、本音の前に一枚カベがある」と話しました。

 

 しかし、地域に馴染めればこれほど心強いことはありません。神林の話で会場が笑いに包まれた場面がありました。スライドに映されたのはバリバリ働くおじいさん、おばあさん。遊び場が移転することになり、木で造られた小屋や大きな遊具をどう解体しようか悩んでいた時、立ちあがったのが地域の住民でした。

「そんなのすぐ終わるよ」と、数日かかると思われた解体作業がものの半日で終了。70~80歳の高齢者が多い地域ですが、海と山で生活してきた人々の力強さは健在です。それは地域に溶け込んだ活動だったからこそ、地域の人々も自分ごととして捉え、協力したのだと思います。

 

ですが、地域の住民に馴染むことが必ずしも正しいとは言えません。地域に合わせれば合わせるほどに、できなくなることもあります。

 

「よそ者だからこそ、身内にはできない相談も、気軽に話してくれることもあります。また、地域住民同士の課題も、よそ者だから地域のしがらみに関係なく、橋渡しできることもあります。」

 

と神林は話しました。

 

 

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それぞれのプレゼンが終わったあと、コーディネーターの嶋村さんを交えてトークコーナーがありました。

 

その中で、阿南さんから「挫折したことはないですか?」と質問がありました。

 

神林は「挫折の連続だったし、今もカベを越えたか分からない。とくに被災地に来て最初の2、3年は本当に大変だった。自分が居ないと遊び場の運営が終わってしまうというプレッシャーもあったし、地域の人にももっとできることがあると思っていて、言いたい事はいっぱいあった。でもそのうち自分も疲れて、必死になることをやめたら、不思議と周りが助けてくれるようになった。自分がやらなくなった分、相手がやってくれたことに、より感謝できるようになった。」と心境を語りました。

 

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阿南さんは、NPOと児童館は共同していくのが大切だと言っていました。それは神林の体験にもあるように、お互いで寄りかかっていく部分を持ちながら、“温度”を合わせていくということだと思います。

 

よそ者の持つ視点と地域住民が持つ視点は違いがあります。それぞれが生かせるとしたら、子どもにとってよりよい環境がつくられるはずです。

 

その努力を続けてきた2人の体験談を通して、たくさんのヒントが得られた学習会となりました。