「子どものいのちとこころの話in品川」前編
「子どものいのちとこころの話in品川」前編
第1部では、子どもに向き合って奮闘している実践者が、子どもたちの様々な現状を伝えました。子ども食堂についての話、思春期の子どもたちの居場所づくりについての話 、被災地での話…。
第2部は、おむすびを食べながらパネリストと参加者が意見を交わしました。やわらかい雰囲気ながらも、熱い対話が繰り広げられました。
日時:2016年1月31日(日) 16:00~20:00
パネリスト: 栗林知絵子(豊島WAKUWAKUネットワーク)
吉田貴文(せたがや子ども・ワカモノねっと)
神林俊一(一般社団法人プレーワーカーズ)
コーディネーター:渋沢やこ(布紙芝居「なにぬの屋」/劇団そら)
第1部 とーくDEりれー
当団体事務局長 神林は被災地の子どもの事例を伝えました。被災直後の光景と、子どもの遊ぶ様子がスライドに映され、今も続く被災状況を話しました。
災害は東日本大震災だけに限らず日本各地でおきています。水害があった茨城県常総市でも子どもの心のケアを目的として遊び場を開きました。そこで目にした被災地の子どもの共通点は、不安な気持ちや恐怖体験が遊びで表現されるということでした。子どもたちは失ったものを工作したり、木や段ボールを破壊したり、その心を表現しました。
宮城県気仙沼市では現在、新しい遊び場が地域の住民によって作られようとしています。神林はどんな遊び場にしたいのか、子どもの意見を集めました。遊び場の中で、「好きなこと」「嫌いなこと」を、自由に模造紙に書きだしてもらったところ…
スキ「大声がだせる、発散したい、なんか楽しいところ」など
キライ「あれこれ禁止する人、ルールがうるさい遊び場、大人だけの空間、女は男に逆らえない」など
好きなスポーツや食べ物に混じって、子どもの現状を鋭く示す意見が見られました。
また、そこから見えてきたのは、どんな遊具があるのかが大事なのではなく、周りにいる大人の対応で好きな遊び場にも、嫌な遊び場にもなり得るということでした。
だからこそ、自分の身の回りにいる子どもを見守ることから始めてほしいと神林は伝えました。
「子どもを支援したいという気持ちがあるならば、まずは隣3軒、どんな子どもが住んでいるか知っていますか?」
ハッとした方は多かったのではないでしょうか。
吉田貴文さんは、生きにくさを抱える若者たちの声を伝えました。社会のひずみで傷つく若者は、それを「自分のせい」だと思ってしまうと言います。
活動で出会った若者は、いつも一人で食事していました。彼が言った言葉が、吉田さんは強く心に残っていると言います。
「ひとりでメシ食ってるとさ、エサ食ってるみたいなんだよな」
そこで吉田さんは、若者がみんなで作って食べる夕食会を開きました。
若者がポロッとこぼす言葉や、ふいに行う動作から、生きづらさが垣間見えます。
「みんなで食べると美味しいよね!」
両親共働きでお金だけ家に置いてあり、食事を家族で食べることが無かった若者。
「お金なくて参加費払えないんだ」
すでに働いているのに、200~300円の参加費が払えないという若者。よくよく話を聞けば、若者の雇用状況や労働環境が厳しい様子も浮かび上がってきました。
夕食会の他にも、若者が心おきなく遊べる企画もしています。例えば、テレビゲームはあまり良いイメージを持たれないけれど、家でゲームをしている若者が参加するならばと、ゲームを取り入れました。始めはみんなゲームに夢中ですが、時間が経てばゲームに飽きて、気づけばだれもゲームをやらずにお喋りしていました。その中で、家で一人でゲームばかりしていた若者が、ぽつりとこんなことを言いました。
「なんでか家でゲームが終わるとむなしくなるんだよ・・・」
その若者はずっと心に寂しさを抱えていたようです。ゲームに対して抱くイメージは人それぞれですが、「ゲームはきっかけのひとつでしかない」と吉田さんは言います。確かに、その若者が入るためには必要な入口だったのではないかと思いました。
吉田さんは若者が企画するイベントの支援もします。音楽イベント「羽音ロック」は、若者が自分を表現する場になっています。
「大人は個性を大切にって言うのに、なにか表現するとすぐ否定するよね」
そんな社会の矛盾を感じながら、若者はイベントに想いをぶつけます。しかし、孤独を感じている若者、家に引きこもる若者、学校に行っていない若者、支援を必要とする若者はまだたくさん社会に埋もれています。
栗林さんは、プレーパークや子ども食堂を通して子どもの声を聞き続けてきました。
「昨日からごはん食べてない」
「昨日もパトカーが家に来たんだよ」
子ども食堂では、子どもを取り巻く環境の問題が見えることがあります。
「くりばあ(栗林さんのニックネーム)の家では、家族でごはん食べるの!?キモッ」
家族でごはんを食べることが“当たり前”ではない子どもの声です。みんなが当たり前だと思っていることが当たり前ではないこと、これを相対的貧困といいます。欠けていることが当たり前ということは、誰かがその差に気づかない限り認知されない、見えにくい問題なのだと思います。
あるシングルマザーの親子は、子どもの不登校がきっかけで親子共に家に引きこもっていました。子ども食堂に来るようになり、地域と繋がりが生まれました。子ども食堂に通うようになり、娘は来ている子どもの世話をするようになり、学校にも通い始めました。母親は地元の人に仕事を紹介してもらい、正職員として働き始めているそうです。
また、学校の授業でつまづいている子どもに出会った栗林さんは、無料学習支援を開きました。
「小学校でつまづいているのに、そのあとも分からないまま授業を受けて、その子の失った時間を返してほしい」
と話す、栗林さんの言葉が印象的です。
誰かが早く気付いて対応できていれば、その子は苦痛な日々を送らなくても良かったかもしれない。理解できていれば授業の時間を楽しめたかもしれない…。勉強が出来ない子どもの原因を大人側に見つけようとする栗林さんの視点が素敵だと思いました。
活動する場所も向き合う問題もそれぞれの3人。
共通していたのは、ひたすら子どもにより添い続ける姿勢でした。
※後編は、パネリストと参加者が交わした熱い応答をまとめていきますので、乞うご期待!!