「子どものいのちとこころの話in品川」後編
「子どものいのちとこころの話in品川」後編
パネリスト: 栗林知絵子(豊島WAKUWAKUネットワーク)
吉田貴文(せたがや子ども・ワカモノねっと)
神林俊一(一般社団法人プレーワーカーズ)
コーディネーター:渋沢やこ(布紙芝居「なにぬの屋」/劇団そら)
司会:幾島博子(おばちゃんち)
第2部 おむすびとーく
第2部では「関係を結ぶ」という意味を込めたおむすびを食べながら、参加者からの意見・質問に対してパネリストが応答しました。
まず参加者から飛び出した質問は、
『何を励みにして活動しているんですか?』
吉田貴文「目の前の子どもと向き合っていたら、今。」
目の前の子どもが活動の根拠であり、その子達の抱える問題に向き合い続けて、気がついたら時間が流れていたそうです。それは生きづらさを抱えた子どもが絶えず吉田さんの前でSOSを発していたということだと思います。
次の質問でも、生きづらい子どもの現状が浮かび上がります。
『孤食の割合って統計はあるんですか?』
神林俊一「孤食の捉え方には幅がある。家庭で一人で食事するのも孤食。学校のトイレで一人でお弁当を食べるのも孤食。友達が居ないことを見られるのが恥ずかしくて隠れて食べる子どももいる。正確な統計は無いんじゃないでしょうか。」
孤食という現象ひとつでも、家庭の問題であったり、人間関係の問題であったり、原因はそれぞれ。神林の話にあるように、子ども自身が恥ずかしい事だと思って隠れている場合もあり、実態が見えにくい問題です。
そんな現状の中、子どもと向き合おうと思ったきっかけは何だったのか?
この問いは、これからNPO活動に関わりたいと思っている高校生から出されました。活動の原点を探るこの質問には、コーディネーターも司会も含め全員が答えました。
『どういうきっかけで活動を始めたのですか?』
栗林知絵子「自分の子育てがきっかけ!」
吉田貴文 「プレーパークのボランティアがきっかけ。自分は教育的に育ってきたけど、ボランティアに参加して、プレーリーダーすごいなぁ!と思った。尊敬するプレーリーダーに出会って、その人が本当に子どもの目線で子どもと接しているのを見て、どうやったら子ども目線になれるのかと思った。」
(プレーパーク…子どもの遊び場、プレーリーダー…遊び場のスタッフ)
神林俊一 「小学校高学年から不登校で、プレーパークに行くようになった。そこで、とあるプレーリーダーに出会った。その人に誘われて一緒に仕事をするようになり、心地いい場所に向かったら、気づけばこういう仕事になってた。」
渋沢やこ 「駒沢はらっぱ(プレーパーク)で働いていた時に思いだした原風景があって、子どもの時に毎年地域の大人がお化け屋敷をやってくれていた。お化けの仮装をしたり、暗い場所で待ったり、今思えば大変だったと思うのに、大人達は一生懸命子どもを想って開催してくれた。それをふと思いだした時があって、そんな大人の背中を思い出して子どもと関わっていこうと思った。」
幾島博子 「高校生の時に“世の中を変えないと”と思っていた。先生になりたくないから、児童館のアルバイトを始めて、児童館の職員になった。それから“まちづくり”などの新しいチャンネルが入ってきて、自分が楽しむためにやってきた。」
それぞれの原点を聞いた高校生は、さらに問いかけます。
『どうして活動を続けていられるのですか?』
栗林知絵子「最初は子どもの遊び場をつくりたいと思って活動を始めたのですが、仲間ができなくて大変だった。今の活動を続けていられるのは仲間をつくれたから」
吉田貴文「ここで自分が辞めたら、目の前の子どもが救えないから。お金とか自分の子育てとか、他人に頼めることは多いけど、目の前の子どもの対応は気づいた自分にしかできないから。」
神林俊一「頼れる人がいるから。最悪死にたい…とかお金がない!となっても助けてくれる人がいる。それがキレイな方の理由(笑)
子どものことをやるのと同時に、自分の好きなことをする時間も大切にしている。お酒好き、バイク好き、ゲーム好き、本好き…やっぱり人のためにだけ動いたら見返りが欲しくなる時があるから」
トークは個人の話から、活動の内容に移っていきました。
『子ども食堂は、子ども支援をうたっていると、親として至らない部分をつつかれている気分になる人もいるのでは?』
子どもに栄養ある食事と、みんなで食事をとれる暖かな空間を提供する「子ども食堂」。そこに子どもが行くということは、親がそれを与えていないと見られる…それを嫌がる親は居るかもしれません。栗林さんはこう答えました。
栗林知絵子「至らないと思う親は来なくなっていくと思います。パンフレットで孤食・貧困を掲げると確かに来づらい人はいます。けれどこの問題は、社会の中で無かったことにされてしまうから、あえて掲げています。」
子どもの環境を考える時に耳にする言葉「ナナメの関係」、これを詳しく知りたい!という方もいました。
『ナナメの関係って何ですか?』
栗林知絵子「親・友達・親戚にも言えないこと言える相手は、ナナメの関係。親は子どもを育てる責任がありますが、ナナメの関係は無責任でいられます。」
親や先生はタテの関係、友達はヨコの関係とすると、そのどちらにも話しにくいことがあります。ナナメの関係には、それが話しやすい距離感があり、相手も親のように責任を感じて関わる必要もなく、接しやすいのです。このナナメの関係にある人に出会えず、一人で問題を抱える子どもは多いのが現状です。
子どもの環境を考える時に難しいのは、遊びと勉強の兼ね合い。その難しさを考える方からの質問がありました。
『学習支援で勉強の方が重要視されるけれど、遊びも大切だと思う。そこを伝えるにはどうすればいいのですか?』
吉田貴文「学習支援は大切だけれど、学力を上げることが大切ではない。学習に力を入れすぎるとモレる人もいる。」
神林俊一「学習と遊びといったら、遊びの方が根っこにあると思う。遊びが崩れるとすべてのリズムが崩れると考えている。学習支援は子どもの居場所をつくる切り口のひとつとも言える。そう呼びかけた方が親が送り出しやすい。」
栗林知絵子「遊びと勉強はヨコ糸とタテ糸、どちらも欠かせない。遊びは幸せを得る力だから、生きるのに欠かせないと思う。」
「遊んでばかりいないで勉強しなさい」という言葉はよくありますが、満足に遊べていないから勉強に身が入らないという子どもは多いと思います。勉強をしようとしない理由がどこにあるのか、なにが満たされていないのか、子どもをよく見つめれば教育の場がよりよくなっていくヒントがあるはずです。
今回の参加者は児童館の職員や、子どもに関わる仕事の人だけでなく、これからNPO活動をしたい若者や興味を持っている大人など多様な背景を持った人が集まりました。活動のきっかけや続けていく動機など、改めて問われると考えさせられる質問が多くありました。
子どもの“いのち”と“こころ”。
参加者にとっても、自分や今の社会に対するたくさんの「問い」が生まれ、考えさせられることが多いイベントだったと思います。