アソビのタネ

子どもがいるならどこでも「もっと楽しく」「もっとのびのびと」「もっと安心して」いられる現場づくりでの実践を記していきます。

宮城県プレーパーク座談会 2021年10月29日・30日

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2021年10月29日・30日

子どもの居場所○○(宮城県名取市下増田丁地96-2)&オンラインにて、宮城県プレーパーク座談会を開催しました。

 

県内でプレーパークづくりの活動に関わっている人が集まる機会を作りたい!って思って呼びかけたところ、2日間で30名の方が集まってくれました。

 

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まずは、自己紹介。

何十年も前からプレーパーク活動に関わっている人もいれば、震災後に活動を始めた人、最近プレーパーク活動団体で働き始めた若手スタッフ、これからプレーパークを作りたいと思っている人、ボランティアで関わり始めた学生など色々な立場の人が集まったので、改めて名前や所属を言っていきました。

 

宮城県内でのプレーパークの歴史は古く、1980年代後半から、始まっていますので、30年以上の歴史があります。

震災前にあったプレーパーク活動は、りふ・プレーパーク、ふるじろプレーパーク、西公園プレーパーク、海岸公園冒険広場という4つでした。

その後、2011年に東日本大震災が起こり、東北各地・宮城県内での遊び場活動が一気に増えました。

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これは、2012年7月3日に行った「つながってみよう小集まり①」の写真です。
東北の遊び場づくりの仲間が集まる最初の機会でした。
 
その後も、それぞれの団体、それぞれの地域で活動が広がり、
一時期は20~30の活動がありました。
 
しかし、プレーパーク・遊び場活動を継続するのは、とても難しいことです。
(継続だけが全てではありませんが)
 
今は、10~20の活動があります。
数に幅があるのは、そもそも何をもって「プレーパーク」と呼ぶのかにも関わってくるので、正確に調査できていないからです。
全国的なプレーパーク活動の調査も行われてはいるのですが、県内の活動についての細かい、あるいは頻度の高い調査ができていないので、それもゆくゆくはしていきたいとも思っています。
 
そして、プレーワーカーズとしては、以下の写真の通り
プレーパーク114ヶ所を宮城県内に興していくことを目標としていきたいです。

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じゃあ、そもそも、プレーパークって何でしょう?

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2021年3月にNPO法人日本冒険遊び場づくり協会が、プレーパークの定義を決めました。
 
しかし、それだけでは、条件など細かい部分に言及がないため、
プレーワーカーズとして、話合いを重ね、「場の条件」「人の条件」「姿勢の条件」をまとめました。
 
こういうプレーパークを県内に114ヶ所つくっていきたいと思っています。
 
このような、スライド発表をしたのちに、
参加してくれた方々から、意見や感想などをもらいました。
 
「学んだプレイワーカーの”学んだ”って何だろう?」
「自然って言っても、みんな感覚が違うよね?」
東松島にも作ってみたいけど、どうやって始めたらいいんだろう?」
「子どもの遊び環境の悪化はもはや公害レベルだから、税金を使って整備しなきゃ。」
「114ヵ所のプレーパークの”質”のすり合わせも難しいよね。」
 
その後、フリータイムでもっと深める話し合いもしたかったのですが、
人数も多く、ほとんど自己紹介と感想共有くらいで終わってしまいました。
 
でも、初めて開催した、宮城県プレーパーク座談会。
1回目なので、顔合わせでいいでしょう。
 
これからも、お互いに協力しあいながら、子どもが遊び育つ社会を目指すために
まずは、プレーパークを県内に増やしていく。
そんな活動をしていきたいと思います。
 
p.s.
コロナのあと、オンラインの集まりはたくさんありましたが、
オンラインだと”アフター”がなく、プツッと切れてしまうので、さみしいなぁといつも思っていました。
久しぶりにリアルに会った人も多い中、その後のダラダラ時間が有意義だったなぁと思います。
 
 
プレーワーカーズ 事務局長 廣川和紀(かずき)